2020年12月2日水曜日

救済

以前、本場所の取組で怪我した力士に適用される公傷制度が昭和47年1月場所から取り入られた。
これは、横綱以外の力士に適用される通常の休場(休みの日数によっては負け越し扱い)とはしない制度である。
なぜ横綱以外かというと、横綱は負け越しても休場しても番付が下がることはない(東から西になることはあるが)。
公傷が認められた場合、その場所は休みを負け越しとして換算して番付を編成するが、次の場所休場でもその次の場所は1場所まで全休が認められ、その位置に留まれる。
その後、この制度を利用しての休場力士が多いという事で、当時の北の湖理事長の鶴の一声で平成15年11月場所を最後に公傷制度が廃止された。
しかし、本場所の取組で怪我した力士を救済しようとの事で、1年前の12月に力士会が団結して公傷制度の復活を要望したが、現在保留中とのようだ。
自分の場合、昭和55年5月場所の取組中に左足首を骨折して休場。
即入院し、腫れがひいたところで手術しギブスで太ももまで固められた。
おかげで、7月場所休場しても翌9月場所は公傷制度のおかげで7月場所の位置に留まれ事ができた。
番付表の下から2段目の左端、飛び出たところが自分である。
目立って良いが、その場所は力が入らず、残念ながら負け越してしまった…
1場所休んだくらいでは怪我の完治は難しいが、無いよりあったほうが良い制度だと思う。
復活に賛成である。

 

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